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       設立趣意書


1990年9月5日、八王子市議会に対して、
「浅川大地下壕の保存と平和資料館建設に関する請願」が出された。
それを受けて市議会は、浅川地下壕・松代地下壕の視察を行い、
討議を重ねて、1991年3月22日、この請願を採択した。
これによって市議会は、
「戦争の傷跡を生々しく残している地下壕は
歴史を伝える貴重な財産」であることを認めたのである。
しかし八王子市当局は、その後6年余を過ぎた今日まで、
具体的な対策は何も講じてこなかった。

一方、請願を提出した八王子の地下壕問題を考える会も、
採択を受けてさらに新しい運動を展開することもできず
今日に至っている。

しかし、行政の怠慢、運動の停滞にもかかわらず、
浅川地下壕をとりまく状況は変わってきている。

まず、地下壕ロ地区を包む金比羅山は
学校建設のため切り崩される心配があったのが、
建設計画の中止により、ロ地区の破壊は免れた。

学校建設の中止により、
金比羅山は自然公園として保護される見通しが明るくなった。
開発か自然保護かを巡る地元の人々の対立もなくなり、
公有地化に向けた展望が開けてきた。
ここから、公立の「浅川史跡自然公園構想」が提案され、
八王子の平和資料館構想も出されてきている。
しかし、公有地化は財政的に厳しく、
また、初沢山の買収計画も噂されている。

八王子市内では、B29による八王子空襲、
P51機銃掃射による湯ノ花トンネル列車空襲、
大和田橋に残る弾痕、そして相即寺ランドセル地蔵物語、
また、上川口の相模海軍工 南多摩分予定地跡など、
戦争遺跡の掘り起こし、記録化も進んできている。

また、浅川地下壕と深い関係のある長野市の松代大本営地下壕は、
長野市による保存公開が1990年に実現し、
年間10万人が訪れる平和学習・歴史教育の場となっている。

国の文化財指定の基準も変わり、
戦争遺跡として広島原爆ドームが
1995年6月に国史跡として指定さ れた。
現在までに文化財指定された戦争遺跡は、
病院壕、掩体壕、戦災工場、防空監視所、
奉安殿など14件となっている。

そして、今年の7月、
戦争遺跡保存全国ネットワークが設立され、
民間の教育者、研究者、主婦、高校生、市民、平和運動団体が、
戦争遺跡を保存する取り組みを始めた。

八王子において、浅川地下壕などを
戦争の傷跡を残す貴重な史跡として残し、
そこを、過去の戦争の実相を知り、
将来の平和の実現をめざすための学習の場とする、
そうした願いをこめて、この会を設立する。

1997年10月13日

浅川地下壕の保存をすすめる会準備会

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