浅川地下壕の保存をすすめる運動を! ぜひ、ごいっしょに! 浅川地下壕について 浅川地下壕は、高尾駅南の 金比羅山・高尾東山稜・初沢山の地下にあります。 第2次大戦末期に陸軍浅川倉庫として掘られたもので、 面積約2万4千平方メートル、 総延長は10キロメートルにもおよびます。 朝鮮人の方も約2000人動員されました。 この地下壕は、後に中島飛行機武蔵製作所浅川工場として、 敗戦まで4000人近くの人が軍用飛行機の工ンジンを作っていました。 「浅川地下壕の保存と平和資料館建設に関する請願」 今、どうなっているの? 1991年3月22日に市議会で採択されたのに、 6年たった今でも市はなんら対策を講じてくれません。 安全対策も取られていないので、見学するのも危険な状態です。 これでいいのでしようか? 子どもたちに平和の大事さを理解させるときに、 戦争遺跡は大事な教材です。 1995年、国は戦争の実相を伝えるものとして、 「戦争遺跡も文化財に指定にする」という方針を取りました。 「広島の原爆ドーム」は、戦争遺跡(国史跡)第一号となり、 世界遺産にもなりました。 浅川地下壕と深い関係のある長野市の松代大本営地下壕は、 大勢の人の保存運動によって、 1990年に長野市による保存公開が実現しました。 現在、年間10万人が訪れる平和学習の場になっています。 浅川地下壕も、戦争の傷跡を残す貴重なな史跡です。 保存公開し、平和記念資料館を設立してくれるよう、 みんなで八王子市と東京都に働きかけていきましょう。 |