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       基調報告
      浅川地下壕とは


浅川地下壕とは、アジア・太平洋戦争末期、
陸軍の計画によって掘られた、
全長10キロメートルにもおよぶ大地下壕である。
当初は「倉庫」という名目で工事が始まったが、
一時中断の後、今度は、
軍用飛行機のエンジンをつくる工場を
移転させる目的で工事が進められた。
実際に一部は工場として使用され、
10機ほどの工ンジンが完成されたといわれている。

1944年9月に工事が始まり、
45年8月の敗戦の時まで掘削工事はつづけられた。
戦後、機械などは全て運び出されたが、
地下壕そのものは当時の様子をそのまま現在に残している。

 
浅川地下壕をめぐる動き

地下壕が掘られた経緯や地下壕をめぐる戦後の動きなどについては、
略年表に簡単にまとめた。

 
浅川地下壕の保存をすすめる会設立準備の経過

本日この会を開催するに当たって、
7月以来急ピッチで準備を進めてきた。
準備の発端になつたのは、7月20、21日の2日間にわたって
長野県松代で開かれた「戦争遺跡保存全国ネットワーク」設立の会であった。
戦後50余年が過ぎて、
戦争を語り伝える人の数が日毎に減ってきている。
これから次の世代に戦争を伝えていく手がかりは、物(遣跡である。
そうした認識にたって全国各地で先進的な取り組みをしてきた人々が集まり、
経験交流をした。
「戦跡考古学」という新しい学門分野を切り拓いた研究も報告された。
こうした各地の経験に学び、
首都東京に残るこれだけ大規模な遺跡をこのまま放置しておくのは
地元の怠慢でばないだろうかと考えた。
準備会に集まったのは、
高尾・浅川の自然を守る会、八王子の教織員組含、
文化財保存全国協議会、歴史教育者協議会など、
呼びかけのヂラシに名を連ねた団体で、
日頃活動している方々であつた。
今後の活動計画

この会が今後どんな活動を展開していくかについては、
規約の案文で提案する。
いろいろな人々が自由に参加でき、
集まった人たちの熟意と総意でこの会を発展させていきたいと考えている。
保存をすすめる運動が、
地下壕と重なりあっている三和団地に生活する方々に
迷惑のおよぶものであってはならない。
また、この地域に住む子どもたちの暮らしにも配慮しなければならない。
この大地下壕が、どんな歴史をもち、
現在どんな状態になつているのかを明らかにしていくことをとおして、
毎日の暮らしの安全を守り、
縁豊かで、平和な浅川の町を、
自分たちの手で守り育てていきたいものである。


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